年年大吉
中国に関連するモロモロのつぶやきです。
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DATE: 2008/11/11(火)   CATEGORY: 楊逸
時が滲む朝
遅ればせながら、楊逸さんの芥川賞受賞作品、「時が滲む朝」を読みました!

時が滲む朝時が滲む朝
(2008/07)
楊 逸

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【あらすじ】
1988年、時代は改革開放路線の中、
中国西北部出身の梁浩遠と、
そのライバルであり、友人である謝志強は、
努力して努力して勉強し、
中国の名門大学、秦漢大学に合格します。

希望と理想に満ちた大学生活を送る二人。
そんな中、カリスマ若手文学教授の甘先生に感化され、
「中国も民主主義にならなければ!」という思想に影響されて行き、
先生が主催するデモ活動に参加するようになる二人。
同じ学生中には、全く冷めて参加しない人もいる中、
活動中で白英露という英米文学専攻の女学生とも深く関わりあい、
恋心も芽生えます。
授業をボイコットし、活動にのめりこんでいくうち、
ついに中国は「天安門事件」を迎えます。
北京から離れた秦都でこの事件を聞き、
衝撃を受け、泣き崩れる梁浩遠達。

…ここでちょっと一言感想。
意外だったのは、ここら辺の描写は物凄くアッサリしていた点です。
私は勝手に「天安門事件」がクライマックスだと思っていたのですが、
この時点でまだ本の半分程度。
この後、どう収束するのだろう?と思いました。


自分たちが無力だったという事に激しく落ち込み、
やりきれなさに、お酒を飲もうと、活動仲間と連れ立って三人で料理屋へ。
そこで、店主、客として来ていたタクシー運転手らと杯を重ねます。
彼ら「庶民」は、梁浩遠達の「学生運動」を応援していた、と言うのですが、
運動の本当の目的は何だったのか、解りません。
生活が楽になると思って応援していたが、デモがあると仕事は出来ないし、
民主主義国家になる、というのはどういう事なのか、
応援してくれていたはずの「庶民」はそのあたりを全く理解しておらず、
結局は、生活が大変なのだ、という現実的な考えの彼らと、
愛国心に燃える梁浩遠達とは、喧嘩になってしまいます。

結果、傷害罪などで大学を退学になる、梁浩遠ら三人。
甘先生は国外逃亡し、
学生運動のシンボルとなっていた白英露も行方をくらまします。
白英露から、置き土産として
デモの時に来ていた愛国メッセージ入りのTシャツを貰った謝志強は
同時に手ひどい失恋も経験するのでした。

その後、エリート大学生から転落した彼らは苦労の道を歩みます。

1992年、梁浩遠は縁あって中国残留孤児二世の栗田梅と結婚し、
梅の両親たちと暮らす為、日本へ渡ります。

日本語もままならず、印刷会社のアルバイトで生計を立てる梁浩遠。
しかし、愛国の思いは止むことはなく、
日本でも、在日中国人で作っている、
中国の民主化を望む集会に参加します。
しかし、参加者の思惑はそれぞれで、
特別滞在ビザが取れるから、という目的で集会に参加する人、
養毛剤101の販売ルートを作る為の人脈を探す為に来る人、
などなど…
参加者も減って行き、梁浩遠の気持ちとは微妙にズレて行きます。

来日後も、大陸に残った親友の謝志強とは連絡を取り合いますが、
梁浩遠自身の生活も、娘や息子が出来、
アルバイトからパソコンで中国語の入力を担当する正社員になる、
など、変化していきます。
お互い、学生運動をやっていた時の事を思い出し、
当時、着ていた愛国メッセージ入りのTシャツを見ながら、
手紙のやりとりを続けるのですが、
その間に、大陸との連絡手段が手紙が電話になりメールになり、
どんどん中国経済が発展していく事も感じていきます。

日本で「中国のオリンピック誘致反対運動」などもやるのですが、
その意味が解る人もほとんどおらず、
(実際私もそんな運動や思想があったことは知りませんでした)
梁浩遠自身が本当にそれが良いのか、悩みもします。

2000年には、学生運動後、フランスに姿を隠していた甘先生と白英露と、
デザイナーになった謝志強を交え、日本で再会します。
お互いに、学生運動の残り火のような物を少し確認しながらも、
そんな活動が陳腐になった時代の流れを感じながら別れます…





節目節目に、タイトルの「時が滲む朝」を経験する彼らがいます。
秦漢大学に入学して、叫んだ朝。
北京でのデモ活動を終え、秦都に帰る列車の車窓から見た朝日。
日本でも真剣に革命活動を行う中、
かつてのリーダーが実業家代表としてニュースに出ていたのを見て、
ショックを受け、故郷の父親に励まされて見た朝日。

そしてまた、節目節目に、
テレサ・テンの音楽と、尾崎豊の「I Love You」が織り込まれていました。

…ん~。
日本でも学生運動があった時代がある訳ですが、
(私は経験してないのですが)
お隣の国でこういう似たような活動があり、
それが日本で小説に描かれて発表された、
という所に意義があるような気がしました。

「似たような」とか乱暴にひと括りで言ってしまったけど、
主張とか思想は違うんですよね?日本の場合と中国の場合では?
(ほんと、無知でお恥ずかしい)
でも、学生が「国の為!匹夫有責!」と、すべてを投げうって活動に没頭する、
という点では共通している気がします。

多くの人は、そのさなかにある時には
活動の真の主張とかは解っていなくて、
付和雷同してデモに参加したりしてたのかもしれません。
「国がよくなるらしい」という思いだけで。
梁浩遠達も、在学中は思想についてよく解っておらず、
他人に説明できる程ではなかったようです。

それが、逆に退学後になって、民主化したらどうなるか、
という事を勉強していき、遠い日本で活動に望むわけです。

しかし、その頃には、
主義主張より、政治より、経済発展が第一、という風潮になり、
かつては味方してくれていた「庶民」もなかなか賛同してくれません。
特に、在日中国人として働く彼らにとっては
どうやってお金を楽に稼ぐか、が一番大事なことです。

梁浩遠も、最初はそのズレに憤りを感じながらも、
時の流れとともに、養う家族も増え、
自分自身の「生活」がおろそかにできなくなり、
段々流されていく自分を客観的に見ています。

私はそういった政治活動に参加した事はないですし、
今作も、特にその主義主張の「内容」については多くを語っていないので、
「若者の理想」から、「中年の現実」への移行を、
現代中国の動向に合わせて描いている、と言えます。
ある種の「青春小説」として読む事が出来ると思いました。
とはいえ、この種のお話は、ただ中にある若者には描けませんよね。
年齢を重ね、これまで見てきて、今がある人、だから描けるお話でしょう。

「中国の方が日本語で書いた小説」という目線で、
前作の「ワンちゃん」を読んだのですが、
それと比べると、日本語表現はかなり違和感がなくなっているようでした。

…とまぁ、拙いながら、真面目に感想を書いてみたのですが、
ひとつ、ニヤリとした箇所が!
本文63頁、
主人公らがデモ抗議のロゴをプリントしてもらおうとTシャツ屋に行く場面。

上半分には色んな書体の文句がずらりと並べてある。
”射英雄””上海灘”など時下流行している香港のテレビドラマから”大侠””忍者””Heart broke”"Kiss Me!””I Love You”などの言葉まで。


おぉ!こんなところに「射英雄伝」が!!(^^)
…でも考えたら、「武侠」では、
国や民の為に活躍する武芸者が出てきますもんね。
当時流行してたから、ってだけでなく、
多少はその辺の裏の意味もあったりするのでしょうか?
芥川賞受賞作品中に、「射英雄伝」が出てたって事に
なんだか「中国人の根っこ」を見た気がしたのでした。

COMMENT

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阿銀 | URL | 2008/11/12(水) 00:38 [EDIT]
いや~なんか懐かしい…。
その頃私も北京を出入りしていたので、そんな話よく聞きました。

中華社員もあの事件の時は学生でしたから、もちデモに参加してましたし、そのあとの残酷な出来事も見たわけでして…。
彼の周りでも事件がらみで失恋して窓からとびおりたりした同級生もいたり、(この時、私もいました)なんかねえ、すごいことだらけでしたよ…。
一冊の本ができるね、たしかに…。

ちなみにデモのリーダーの一人で国外逃亡した学生は社員の同級生でした。今も国に帰れません。帰ったら逮捕されちゃうからねえ。
まだまだ複雑ですね、かの国も。
機会があったらゆっくり読んでみたいです。
● 私の先生
xihuan | URL | 2008/11/12(水) 17:34 [EDIT]
私の先生は、結構文革の時に、やんちゃをして学校や軍に対して始末書を書いたそうです。
読んではいけない本をこっそり読んだとかいってましたよ。
それから、合唱隊にも入っていたそうです。
そして、先生の恩師に日本へ留学するように薦められて、日本に留学して日本人のご主人と結婚したんだって・・・・・
留学を進めてくれた恩師は、その後、自殺をしてしまったそうです。いろいろな事が、あって今が有るんだなぁ~って、
● >阿銀さんへ
阿吉 | URL | 2008/11/12(水) 23:27 [EDIT]
>失恋して窓からとびおりたりした
!!…ご無事だったのでしょうか??(な訳ないか)
阿銀さんがその場におられた、
っつうのが又、凄すぎです(ーー;トラウマ~!

普通の精神状態だったら、
そこまで思い詰めたかどうか、
ってのも考えちゃいますね。
未だに、あの事件の概要を読んでも、
政治的背景は、
私にはまだまだ難解なんですけど、
一学生として参加してた人々には
それぞれのドラマがありそうです。
● >xi姐へ
阿吉 | URL | 2008/11/12(水) 23:37 [EDIT]
>文革
そうなんですよね~。
中国の近代史で言うと、これも大きいですよね…
文革の辺りの描写がある映画とかって、
憤りながらもつい、見入ってしまいます。
文革モノはそこそこ出回ってるように感じますが、
天安門事件はまだタブーっぽいですね?
そろそろ語られるようになるのでしょうか?
やはり語るべき歴史ですよね。

>恩師は、その後、自殺
色々なご事情があったのでしょうが・・・
思想の為に死ねるか!?と問われると、
私はNoです…
でもその熱い気持ちは、
どうにか報われないものかな~と思います。

阿銀 | URL | 2008/11/13(木) 21:43 [EDIT]
無事でしたよ。3階と4階の中間の窓から飛び降りて、大腿部だったかな、骨折だけで済みました。

私は現場を見ていたわけでなく、すぐ近くにいただけです。
彼はその後病院へ。そして、大学は退学になり故郷へ帰ったそうです。
せっかく努力して入った大学なのに…。
● >阿銀さんへ
阿吉 | URL | 2008/11/13(木) 21:57 [EDIT]
>無事でしたよ。
良かった~(^^;
生きてさえいれば、又別の出会いもあるでしょうし。
ペチャンコを目撃しなくて良かったですね!

>大学は退学になり故郷へ帰ったそうです。
>せっかく努力して入った大学なのに…。
それはやはり”活動”してたからですよね?
ほんと勿体な~い!
日本でも、留年し過ぎて自主退学、
って人もいますが、
ちょっと意味が違いますね(^^;
● 1989年
まや | URL | 2008/11/17(月) 20:45 [EDIT]
天安門事件のあった年の夏休みに
初めてのフリー旅行で友人と西ドイツを、一人でイタリアを回ったので、
私の中で1989年というのは強烈な印象を残している年です。

11月にはベルリンの壁崩壊、
12月にはルーマニアでも大統領が処刑されるなど
ヨーロッパでも共産主義国家体制が瓦解していった、
激動の年でしたね。
「自分も歴史の動きのただ中にいるんだ!!」と実感したものです。

そうした混乱の中でも、一応看板は変えないまま今日まできた
中国というもののしたたかさ、奥深さに感動すら覚えます。。。
● >まやさんへ
阿吉 | URL | 2008/11/19(水) 00:25 [EDIT]
>1989年
>「自分も歴史の動きのただ中にいるんだ!!」
おぉ、そうでしたか!
実感できたっていうのは羨ましいです。
2008年も、中国にとってはひとつ節目の年ですよね。
歴史ってこうやって作られていくんですなぁ~。


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